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鬼太鼓の歴史

鬼太鼓(おんでこ)とは何か

家内安全や、豊作・大漁などを祈願し、各家々の厄ばらいをして歩く佐渡代表の伝統芸能が鬼太鼓です。
その昔・・・鬼が田畑を荒らし周り、村人たちが困っているところ 獅子が現れ退治すると言う説がありそこからの始まりだと言われております。
祭りも地域によって若干変化するようですが、大まかに分けると 4月の半ば(田植え前)と9月の半ば(稲刈り後)となり春祭りには その年の豊作を神様に祈願し、秋になるとその実りを神様に感謝するという古くからの儀式で各家庭では、ご馳走を振舞いお祝いします。

いつの時代から始まったのか

鬼太鼓の発生話は二つに分かれており、安永年間(約250年前)に、現在の相川佐渡金山で発生したと記録されており 金山で働く人々達が、鏨(タガネ)を手にしながら舞ったのが始まりだと残されております。
また、天保年間(約190年前)新穂は潟上に存在する「本間家能舞台」 の先祖 「本間右京清房」が 鬼舞の振付をして、牛尾社(うしお)の祭りに奉納したのが始まりと残されております。

それぞれの系統

相川系鬼太鼓
「豆まき系」ともいわれるタイプで、相川より佐和田、真野地域に見られる形式です。鬼の面をつけて舞うのではなく、「おきな翁」の面を着けた者の舞が中心になり鬼を退治する作戦で、なぎなた薙刀 などを持って脇にひかえています。この系統の鬼太鼓は、江戸時代後期(天保)に挿絵としても書かれているそうです。

国仲系鬼太鼓
佐渡を代表としている鬼太鼓がこのタイプで鬼と獅子が絡み合う形式です。田畑を荒らし回る鬼を 獅子が登場して 退治していくもので、太鼓の叩き方は、地域によって異なりますが 安政時代(約170年前)に 現在の新穂潟上に存在した人物「関口六助」が、京都や信濃で学んだものを基本としています。現在では、この形式が新穂地内に限らず 国中平野全体に広がっております。大野鬼太鼓は、この系統に当たります。

前浜系鬼太鼓
2匹の鬼が向かい合って舞い、太鼓と笛に合わせ その間 村の子ども達などが助けに入り踊るという形式です。ロウソ若しくはドウソという鼻切り面を着けた者が口上を述べたりし、山伏によって伝えられたといわれております。現在では、山形県などに残る山伏神楽の系統を引くものと言われております。この系統は、前浜や赤泊などの佐渡の南西部に広がっています。

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